人生の真の目的は魂を磨く修行:心の整え方とは?
「人生は、魂を磨く修行」
まさに、その通りだと思う。
では、修行とは何だろう?
火や茨の道を裸足で歩くことか?
雪がチラつく真冬の滝に打たれる
ことだろうか?
座禅を組んで空中浮遊でもして
みせることだろうか?
歯を食いしばって苦行に耐え、とにかく
耐え難きを耐え抜くことが修行なのだろ
うか?
少し冷静に、修行という文字に向き
合うことで答えは見えてくる。
まず・・
修とは、正しくととのえるという
意味がある。
そして・・
業(ぎょう、ごう)とは、行い(行為)
そのものを指す。
行い(行為)の大元は魂であり、心に
よってもたらされる現象である。
つまり、修行とは心(精神)の状態を
正しく整える事と言っていいのでは
ないだろうか?
「人生とは、心を整える旅」
なぜなら、我々の心は操縦士である
魂の意思に反する衝動的な想いや感
情に侵されやすい。
他人や自分を責めたり、攻撃したり、
衝動的に殺したくなる想いに駆られる
ことも少なくない。
この想いに負け、他人を殴ったり
殺せば必ずケジメを取らされる。
我々の心(精神)は、油断すると魂の意思
とは反対へ向かってしまうものだ。
いわゆる「魔が差す」という状態だ。
我々の心(精神)は常に修羅や悪魔による
攻撃に晒されている。
このような魔に打ち克ち、己の中に在る
神と合一する修行が必要。
つまり・・
心を整える行為が必要。
人生は、常に修行の連続。
と言えるのではないだろうか?
一心(神)同体
さぁ、我らと行こう。
The New World of YAMATO