自由に生きるということ

「自由に生きる」

新時代を生きる上で、
この状態になることが
大切だと考える。

 

では・・

自由とはなにか?

自由になる、自由に生きる
とはどんな状態だろうか?

経済的な余裕が増え、可処分所得が
増え、行動可動域が増えること

これが「自由」だろうか?

時間、場所、人間関係の束縛が極力
少ないライフスタイルが「自由」と
言えるのだろうか?

 

つまり、金と力(権力や実力)が
あれば人は自由になれるのか?

これも決して間違いではない。

しかし、新時代における「自由」
の定義を我々はこう考える・・

「自由とは、精神(心)を束縛する
鎖に囚われない状態になること」

である。

 

つまり、真の自由な状態とは精神
(心)の状態にあると言いたい。

たとえば・・

・目の前で起きている結果や現象
を良い悪いで判断しない

・普通の人が「善悪」で斬り捨てる
物事をその領域で捉えない

・与えられた結果は、全て必要な
経験であると自然に、当たり前に
信じられる心の状態になる

(人が死ぬという理を誰もが当たり
前に信じるように)

 

このように、物質的な現象や現実を
中立に、ニュートラルに、自然と捉
えられる制限のない心の状態・・

これが「自由」だと考える。

この精神(心)の状態になることで
現実世界の結果はおのずと異なる
様相を呈してくるはずだ。

そして、この世界そのものも異なる
様相を呈してくるのではないか?

日本人は特に、この目に見えない
「自由な状態」という概念を自然
と当たり前にマスターする力があ
ると思っている。

 

言ってしまえば・・

世界を変えたいと思うなら、日本人が
真っ先に「自由な状態」になれ

こう断言してもいいだろう。

巨大な天変地異、飢饉、コロナのような
疫病騒動、戦争、社会システムや経済や
金融崩壊など・・

起きるべきことは起きるだろう。

 

しかし、極論を言えば・・

我々は、これから何が起きても
関係ないのだ。

我々一人一人の心は、本来なら、
誰も侵せず、誰も奪えないのだ。

我々の心は、いつでも自由なのだ。

このように「自由」になろうとする
日本人が一人でも多く増えること

それによって、世界はまったく別の
様相を呈するのではないだろうか?

 

なぜなら・・

日本人の”心”の力は強いからだ。

世の支配者が恐れるほどの力がある
からこそ封じられてきたからだ。

そんな我々の心の力を縛る鎖を解き
放ち、自由になるべき時がやってき
たのではないだろうか?

 

一心(神)同体

さぁ、我らと行こう。

 

The New World of YAMATO

 

大和魂

日本国、日本人らしさを取り戻せ。

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