SNSと誹謗中傷:分断とコントロールの影響
「誹謗中傷」
過激化した批判、個人的意見を
わざわざSNSを通じて有名人か
ら知人まで広くぶつける行為
死体に集る銀蠅のような汚い
行動のことを指す。
ずっと以前から社会問題に
なっている。
なぜ、誹謗中傷という行為が
起きるのだろう?
文句があって、我慢出来ないなら
直接会って言えばいいだけだ。
それでも我慢出来ないならお互い
に誓約書を書いてタイマンで殴り
合えばいい。
答えはカンタンなのに、なぜ
人は銀蠅になるのか?
こういう糞行為の根底には・・
不安や恐れという感情が存在する
と考えている。
不安、恐れが怒りや陰湿な攻撃に
転化されて誹謗中傷などを起こす
と思われる。
不安、恐れが自分は正しいという
思い込みにつながり他人の批判で
正当化する執着に変わる。
だから、誹謗中傷が起きる。
そういう連中にとってSNSとは、
使い勝手が良くお手軽なサンドバ
ッグのようなものだ。
(普通にサンドバッグを1時間殴れよ
という感じだが・・そんな根性も体
力もないのだろう)
SNSとは、ユーザーの使い方
次第で存在意義が変わる。
しかし、SNSなる道具を浸透させ
た思惑は・・
・大衆の分断統治
・個人情報の取得
・大衆の行動心理の研究
・大衆の洗脳、煽動実験
(動物実験みたいなもの)
つまり、大衆のコントロール
がSNSの目的ではないか?
なので、この誹謗中傷という問題
は「仕向けられている」のだ。
餌をぶら下げられ、涎を垂らして突っ
走っている連中が意図的に作られてい
るということだ。
特に、文明の大転換期(大混乱期)には
人間の隠れた内面が顕著に出る。
不安、恐れ、怒り、その他にも汚い
感情がドロドロと出てくる。
これらに呑み込まれる人間は淘汰され、
認識して浄化に励む人間には新しい世界
が待っていると考える。
この記事を読まれている方は、もちろん
誹謗中傷などという卑劣で愚劣な行為は
しない方だと思う。
そして、今後そのような行為を受けた場
合にはハエにたかられた時の感覚を思い
出してほしい。
淡々と祓え(はらえ)ばいいだけだ。
他人からの誹謗中傷、批判とは
あくまで、そいつの問題だ。
そもそも、自分の問題ではないので
一切反応する必要も他人の意見で反
省する必要もないのだ。
新時代に向かういま・・
我々はただひたすら、自分自身を愛し
自分の人生を愛することだけに集中す
ればいいのだ。
それは、自分以外出来ないのだから。
自分の人生は唯一無二だ。
自分の人生は、自分自身が
創造しているのだ。
その世界の登場人物、出来事、それ
に対する思考や行動も全て自分が創
造するものだ。
自分が変われば世界は変わるという
のは真実ではないだろうか。
また、自分が死ねば世界そのものも
消滅するも同然というのも真実では
ないだろうか。
とにかく・・
「自分を大切に愛し、自分の人生
を大切に愛する」
我々がここに集中すれば・・
誹謗中傷や批判も人生という修行に
おけるアトラクションのようなもの
と思えるだろう。
一心(神)同体
さぁ、我らと行こう。
The New World of YAMATO