「無敵の人」の裏に潜む危険性:善人ぶる人の警戒すべき特徴
近年話題になっている
「無敵の人」という輩
社会的信用、金、家族、友人、
良心や尊厳など人間として失う
ものは何もない
普通の社会生活を営めないので
刑務所にでも入った方がマシだ
わと開き直った輩
まさに狂った獣のような手の付け
ようのない人間を「無敵の人」と
呼ぶようになったのだろう。
「極めて危険な人物=無敵の人」
・・という所だろうか?
他にも、重度の薬物中毒者や頭のネジ
が外れた精神異常者などが「危険人物
」にカテゴライズされるだろう。
ただ、意外と身近に存在して、意外と
わかりにくい「危険人物」の特徴があ
るのだ。
その特徴とはなにか?
「人が良い」
これを自分で言っちゃう輩だ。
他人が言うならまだしも、自分で自分を
「人が良い」「善人」と真顔で言う人ほ
ど危険だ。
なぜなら、その裏側には「自分は悪くな
い」「何かあったら全部お前のせい」
私は善人、善人である私が悪いわけが
ないのだという強烈な思い込みがある
からだ。
こういう輩の発言、会話の細かい節々を
注意して聞いているとわかりやすい。
どんな小さなことでも、あくまで自分は
悪くないという前提で話すことが多いの
だ。
自分は善人であり、正しいという思い込
みも強いので学習、反省、成長する意識
も薄いと言わざるを得ない。
当然ながら、自己責任という感覚も
著しく欠如している。
そもそも・・
「私は善人です」
このように言ってくる人物に警戒心を
抱かない方がおかしいという話だ。
世の中全ての物事、人、あらゆるものに
は陰と陽の部分が存在する。
表面的に、異常なほど善人に見える輩ほ
ど隠れた陰の部分が強烈なのは当たり前
のことだ。
「私は人が良いので」
もし、このような人物と出会った時には
彼らの発言には注意した方がいい。
そして、なるべくなら付き合わないこと
をおすすめする。
意外と多く、気付きにくい危険人物の
特徴である。
一心(神)同体
さぁ、我らと行こう。
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