エビとソースの闇:情報の信頼性を見抜く力
「エビデンスは?」
「ソースはどこ?」
なにかと、こう言う人がいる。
特に、今までの常識や価値観で
理解出来ないこと
見えない世界に対して、この
ように反論する人がいる。
エビもソースもいいだろう。
科学的根拠、データも結構だ。
しかし・・
エビデンスとは、それを示し活用する
側に都合の良い結果をもたらすために
良く捏造される
都合良く造られ、利用される情報兵器
のようなもの
以前も記事にしたと思うが、こんな
事実もある。
すべてがそうとは言わないが、実際
にコロナ●●チンなんかそうだ。
「では、エビデンスが捏造される
という情報のソースは?」
・・こう反論したくなったなら
まあまあ重症かもしれない。
そんな不都合過ぎる事実が、ご丁寧
にソースとして表に出ることなんか
ないだろう。
なので、エビやソースをまるで
神のように信じる人は危険だと
思う。
そのエビやソースに猛毒が盛られて
いたらどうするのだろう?
何でもかんでも、エビやソースが
最終的に信じるべきものなのか?
だとしたら、何とも残念だ。
まるで、殴られても殴り“返せない”
典型的ないじめられっ子だ。
小賢しいだけで、結局は一発ぶん殴
れば良いパシリ野郎だ。
大好きなエビデンスとソース
のせいで己を見失い・・
気付いた時には、己の人生が不本意
のまま終わっている・・
こんな残念なことはない。
「憧れるのは辞めましょう」
大谷翔平の言葉ではないが、
エビやソースを神のように崇
めるのは控えよう。
「エビやソース、科学的根拠
に依存するのは辞めよう」
「恐れず、自分を信じよう」
すでに、我々の中には神が在る。
その感覚を信頼し、己の直感を
信じて生きたほうがいいのでは
ないだろうか?
我々の人生は、エビやソースに
支配されるために在るわけでは
ないのだから。
自信を持ち、エビやソースより
自分の直感に従って生きる強さ
を持つべきだと我々は思う。
一心(神)同体
さぁ、我らと行こう。
The New World of YAMATO