「あきらめる」ということ
そら、そうよ。
・・
文字通り、今日は
「あきらめる」
「明らかに観る」
こんなお話をしたい。
神さまなど存在しないと、
我々も以前は思っていた。
もし、神が存在するなら世の中は
こんな酷いことにならないではな
いか?
そんな事ばかり起きるということ
は神という存在は支配者が創造し
た偶像ではないか?
しかし・・
無知で愚かな考えであった。
地球という星で生きるということは
数々の試練、問題を体験すること
それらと向き合い、もがき、乗り越
える努力をし続けるということ
これらを「体験」し、心(魂)を磨き
、真の自分に近づくことが目的
ということがわかった。
「人生とは、修行である」
陳腐に聞こえるかもしれないが、実に
的を射た言葉だと思う。
我々は「日本人」として、地球で修行
するチャンスを与えられた。
これは非常に、魂としては恵まれすぎ
ているということにも気付いた。
表面的な悪い出来事、試練、苦難を勝手
な判断で拒否せず全て受け容れ、ワクワ
クすればいい。
日本人には、その力があるからだ。
善と悪、光と闇、対や極となるすべて
を統合して調和させる力がある。
だからこそ「大和魂」だ。
だから、日本人である我々は
今世でなにをすべきか?
己の中に存在する心(神)と
一心同体になること・・
つまり、己の心に嘘を吐かずに
世の中や周りの人々や森羅万象
すべてと調和が取れる生き方を
すること・・
それが出来る民族なのだという
ことに気付かされている。
理屈や論理では到底はかり知れない
真実が我々にはあったのだ。
小難しい理論、過去の思い込みは捨てて
、これを当たり前に信じよう。
「あきらめて」はどうだろう?
そら、そうよと。
一心(神)同体
さぁ、我らと行こう。
The New World of YAMATO
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